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5月の気まぐれ通信 [はるちゃんの気まぐれ通信]

imagesCALYRC2E.jpg今年うさぎ年が はじまったのに もう5月です。
3月の震災で 日本中がズタズタの気持ちでふさがりました。
なにもかも失った方々の生きるのぞみ☆と事を考えたとき 
1番私の中のささえの文章があります。
私が 1番 尊敬する文章なので 
多少暗いかもしれませんが読んでみてください。
ナチスによる強制収容所の体験談を書いた<夜と霧>フランクル
の中の一説です。彼らは 有刺鉄線に体当たりして 死んだほうが
はるかに楽だったんですが ――――生きる選択をした道しるべは
<私がここに拘禁されている間に味わわざるを得なかったものを
将来償ってくれるようないかなる幸福も この世に存在しない。
ということは、我々囚人すべてに明らかであった。したがって
我々が幸福の生産をしようと思うならば 残るただ一つの方法は
(高圧電池のとおっている)鉄条網に向かって走ること。すなわち
自殺することだけであった。しかし、我々がそれをしなかったのは
我々が何らかの形で義務の深い感情を持っていたからであった。
例えば 私に関していえば 私は 母に対して命を維持する義務の
深い感情を持っていたからであった。我々は 互いにこの上なく
愛し合っていた。。私は毎日 危険にさらされていた。
なんらかの意味をもたねばならなかった。すなわち 私が死なねば
ならない運命ならば 私の死は私の母に生きながらえることを
贈るーーーーー私の死までの苦悩を耐え忍ぶことは 私の母への
苦しみのない死への犠牲のいう意義づけで この苦しみの生活を
耐え忍ぶことができた。私の命が意味をもつときにのみ 生きること
ができたのである。>
生きる事への 意義づけをしてまでも 生きなければならない
想像を絶する境地だと わかります。
そして 最後に<苦悩と死とが 意味をもつならば 私は私の苦悩を苦しみ私の死を死のうと思った。>
私は 自分の死の意味づけまで できる極限にはなっていませんが
生きる意義を 自分の為でなく 愛する人々の為とおきかえると
人間というものは 大変強くなれるものだと 思います。



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